ステータス
| 名前 | ザ・ファンクス |
|---|---|
| 出身地 | テキサス州アマリロ |
| 得意技 | スピニング・トゥ・ホールド |
| キャリア・ハイライト | (テリー)WWEタッグチーム王座、NWA世界ヘビー級王座、ECW王座、(ドリー)NWA世界ヘビー級王座 |
| 師匠 | ドリー・ファンクSr. |
バイオグラフィー
四角いリングで歴史を紡ごうとする家系があるが、大抵の場合はよくてもせいぜい一握りの成功を味わえるだけだ。 だからこそ、テキサス州アマリロで2人の息子ドリーJr.とテリーを育てた伝説の戦士ドリー・ファンクSr.はもちろん、 多くのレスリング・ファンたちもファンク・ブラザーズがレスリング界でこれほど着実なキャリアを刻み続けるとは知る由もなかった。
WWEファンは、タッグチームとして登場したレッスルマニア2を含め、1980年代半ばに一世を風靡したファンクスを覚えているのではないだろう。 だが、2人はタッグチームとして日本で戦っていた時代に驚くような人気を誇り、この時にはシングル・プレーヤーとしても数多くの成功を手に入れた。
1963年にデビューしたドリーJr.は、1969年に初めてNWA世界王者となってから、なんと4年以上にわたり王座を防衛。 レスリングのテリトリーが全米各地に散らばっていた頃には、フロリダ、南北カロライナ、ジョージア、セントラル・ステーツの各地域、 そして自分の庭とも言えるアマリロで王座をかっさらった。
弟のテリーは1965年にデビュー。その10年後にNWA世界王座を獲得し、ファンクスは誉れ高いNWA世界王座を獲得した唯一の兄弟となった。 ドリーJr.とタッグと組まない時は、シングル・プレーヤーとして全米中で戦い続け、自らの名前を世界中に広めていった。
面白いことに、リング内で見せるファンク兄弟のスタイルは、互いに全く正反対。ドリーJr.が精巧な技術を披露するのに対し、 テリーは策略に満ちた腕っ節の強い人物として文字通り物議を醸した。1990年代半ば、"ザ・ファンカー"はECWでの活躍と"チェインソー・チャーリー" としてWWEに一時復帰したことが功を奏し、新たなファン層を獲得。ハードコアの象徴として、新たなキャリアをスタートさせた。
シングル・プレーヤーとしてタッグチームとして、ドリー・ファンクJr.とテリー・ファンクがどんな道をたどってきたとしても、今、2人は権威と 名声ある終着地、WWEホール・オブ・フェイムにたどり着いた。






